自分が世の中の常識だと思っていしまうことは怖いことです。
先日食事に行ったときに隣の席の男性が店員さんのワインを注文
する声が聞こえてきました。
「赤ワインくれる?」
店員さんは
「グラスになさいますか?ボトルになさいますか?」
と聞きました。
「そんなのボトルに決まっているだろ!」怒鳴る男性。
一緒いる方に
「あの店員、常識ないよな!グラスのはずないよな!」
と同意を求めていました。
彼の発言は隣のテーブルの私たちまで気分を悪くしました。
こんな風に周りの気分を悪くさせる彼は
常識がない人だとも思いました。
うん?あれ?おかしい・・・・。
私が思う常識と彼の思う常識はかみ合わないなんて
ことおかしいのではないか?
常識って誰もが共通して持っているもののはずなのに。
そもそも「常識」って何?と疑問を持ちました。
さっそくウィキペディアで検索。
■常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて
当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。
とありました。
そうなると、「当たり前」って何?と次々疑問が出てきます。
しかし、ウィキペディアでストンと落ちる常識の見解が
記載されていました。
常識と真理の中でこのような一文を見つけたのです。
■哲学者の三木清によれば、常識の上位概念として良識があるという。
常識人が常識を無謬のものとして受容し、
常識を盾にして非常識を断罪するのに対し、
常識に疑問を持てる知恵が良識なのである。
自分自身の常識に疑問を持てる知恵とは
自分の常識理論によって誰かを侮辱していないか?
自分の常識理論によって誰かの自由を奪っていないか?
と考えることができる人でありたいと強く思ったのです。
目指すは、
常識人よりも良識人!